はじめまして、陽一です。
このアカウントは、知の道を歩む実践者に向けて作ったものです。
知の道とは、知識の知、知恵の知ですけれども、
この世界、この世界のシステムの真理を探り、そしてこの世界をこえていこうとする実践者が歩む道のことです。
古くから人類は、この物質世界をこえた意識の可能性として、例えば宗教、あるいは体系的な知の実践の技術、そういったものがいくつも生まれました。
それらは独立していて、大抵は交わることはないですけれども、もし本当に真理、世界の真理というものがあるのなら、それらの宗教や体系的な知の実践の技術には共通する事項があるのではないか、あるいはそういう共通する事項を探ることによって、より知の道、それらがはっきりしてくるのではないか、そう考えました。
普段は交わることのない、違った知の道を歩む実践者の人たち、その人たちが「世界の真理」という共通した事項について、考えたり、検討し合う場、それがこのアカウントです。
名付けて「知者会議」です。
私が知の道を歩み始めるきっかけとなった師、ドンファンと出会ったのは、高校生の頃ですから、もう35年以上前のことになると思います。
師、ドンファンというのは、カルロス・カスタネダの著書の中に出てくる、ヤキ・インディアンです。
本の中の存在、師ドンファンの教えですけれども、世界の出来事や、私の人生の出来事を解釈する時にも、自分の中の奥に、常にドンファンの教えがありました。
一方で世界はとても不安定です。
人類全体を巻き込むような、地球規模の変革期に入ったことは否定できないのではないでしょうか。
知者会議を立ち上げなければならないという、切迫した理由の一つはそれです。
それぞれ違った知の道を歩むあなた、あなたはどこにいるでしょうか?
昔だったら人里離れて、世捨て人となって修行を積むところでしょうけれども、私は社会の中にとどまり、孤立した知の道を歩む者として実践しています。
そのドンファンの教えの中に、例えばドンファンが弟子であるカスタネダたちに一通り教えをし終わった後、ドンファンの戦士一団は、体ごとこの世界から姿を消してしまいます。
この現象ですけれども「体ごとこの世界から消えてしまう」という、これは知の道の違う教えとして、例えば仏教であれば「即身成仏」が相当するのではないかと思えるし、例えばキリスト教であれば「携挙」、体ごと天国に挙げられる携挙、あるいは日月神事であれば「半霊半物」、あるいはスピリチュアル的に言えば「アセンション」に相当するのかもしれない、ヨーガに対してもそれに対応する言葉がきっとあるのかもしれない。
この知者会議では、こういったことを検討したいと思っています。
知の道を歩む者であれば、現世的な利益、お金や再生回数とか、そういったものから切り離されているはずですから、ゆっくりとこのプラットフォームを使って検証することができる、そう思います。
知者会議への参加の仕方ですけれども、このアカウントでは、私はドンファンの教えについて語っていきます。
その教えに基づいて、現実の問題をどう扱ったら良いのか、ということについても語っていきます。
その中で、例えばこの部分はあなたの歩む知の道の教えではこういう解釈ができる、だとか、例えばあなたは実践の過程でこういった問題に直面しているだとか、そういったことを動画を切り取って、あなたの動画のアカウントで上げていただいたり、そういうことでレスポンスができるようにしたいと思っています。
その際に、動画を上げる際に「#知者会議レスポンス」、これは概要欄に貼っておきますけれども、それをつけて動画を上げてもらえれば、他の知を歩む実践者の人たちが、そのハッシュタグの検索でレスポンスの一覧を見ることができると思うので、そういう仕方でやれればと思っています。
例えば、二言三言くらいのレスポンスであれば、ツイッターで上げていただいてもよろしいですし、その場合にも「#知者会議レスポンス」をつけていただければ検索しやすいようになると思うので、お願いいたします。
それではまず第1回目ですから、ドンファンの教えというものがどういう流れの中にあって、その教えというのがどういうことに基づいて体系づけられているのか、それが語られている部分として、今回は「意識への回帰」という邦題の本から、部分的に引用して解説していきたいと思います。
語り口は、カスタネダの一人称で書かれています。
それでは、どうぞ。
意識への回帰 【序文】
私はこれまで、メキシコ・インディアンの呪術師、ドン・ファンとの師弟関係について、くわしい記述を行なってきた。
ドン・ファンが私に理解させ、自分のものにさせようとした概念や訓練がなじみのないものだったために、私としては、そうした教えをありのままに語る以外になかった。
ドン・ファンの教えは、人間には二つのタイプの意識があるとの考えに立っていた。
彼はその二つを、右側、左側と名づけていた。
第一のものは、日常生活に必要な通常の意識状態であり、第二のものは、人間の謎の側、つまり呪術師として、また見る者として活動するのに必要な意識状態だという。
ドン・ファンの教えは、したがって、右側の教えと左側の教えに分かれていた。
ドン・ファンは、私が通常の意識状態にあるときに右側を教え、それを私はこれまでの本に記述してきた。私が通常の意識状態にあるときに、ドン・ファンは自分は呪術師なのだといった。
彼はもうひとりの呪術師、ドン・ヘナロ・フローレスに私を引き合わせもした。
カスタネダの十数冊ある著作がとても複雑になるのは、このドンファンの右側と、左側の教えがあるからなんです。
この右側の教えというのは、現実世界を扱う第一の注意力の教えで、カスタネダの前半の方の数冊の著作で書かれています。
この思い出せないという性質を持った左側の教え、第二の注意力の教えなんですけれども、これは通常の思い出せない、記憶が思い出せないというのとは全く性質が違って、「集合点の移動」これは後ほど別の動画で説明しますけれども、集合点の移動が伴わないと「存在しない」というくらいに思い出せないという性質を持っています。
ドン・ファンが、彼とドン・ヘナロとその同伴者たちが私に何をしていたか、彼らは何者なのかを明かしたのは、左側に関する教えのなかでだった。
彼らは、私に呪術を教えていたのではなく、彼らがもっている「太古の知の三つの面」をいかに習得するかを教えていたのだった。
その三つの面とは、意識、忍び寄り、意図だ。
それに、彼らは呪術師ではなく、「見る者」だった。
カスタネダは通常の右側の教えでは、ドンファンとドンヘナとしか交流しないのですけれども、意識を高められて左側の教えに移ると、ドンファンの戦士集団である多くの戦士の見る者たちと交わることになります。
この「見る者たち」というのは、「見ること」という技術を使える戦士のことを呼んでいます。
ドン・ファンは、見る者は人間を「輝く卵のように見えるエネルギー場」と
して見る、と説明していた。
彼によると、人びとの大半は自分のエネルギーを二つに分けている。
ごくまれに、四つ、ときには三つに分けている男女がいる。
この輝く卵として見えるエネルギー場が、通常の2つではなくて、4つ、あるいは3つに分かれている男女というのは、通常よりも弾力性があるということで、戦士集団の「ナワール」と呼ばれるリーダーになる素質を持っています。
カスタネダが文化人類学者の学生として、ドンファンのもとをフィールドワークの一環として訪れたとき、ドンファンはカスタネダを「見て」、このナワールの特徴を見つけました。
ドン・ファンが左側に関する教えを私に授けるために、私は「高められた意識」と呼ばれる独特の清澄な知覚状態に入る必要があった。
ドン・ファンに同伴した年月を通して、彼は掌で私の背中上部を叩き、くりかえし私をそうした状態へ移行させた。
ドン・ファンの説明によると、高められた意識状態では、弟子は日常生活とほとんど同じように行動でき、しかも、あらゆるものに対して、並はずれた力と清澄さで心を集中させることができるという。
しかし、高められた意識には、通常の記憶には影響を受けないという固有の特質がある。そうした状態のときに起こることは、思い出すというたいへんな努力を通してのみ、日常の意識の一部になる。
ナワール集団との交流は、思い出すことのむずかしさの一例だった。
ドン・ヘナロは別だが、彼らとは高められた意識状態にあるときにしか接触をもったことがない。したがって、ふつうの生活を送っているときには、彼らのことはいっさい思い出せなかった。
カスタネダを高められた意識状態に移すために、ドンファンはカスタネダの背中を叩くんですが、実際にはカスタネダの輝く卵の上にある「集合点」に圧力をかけていて、その集合点が十分な移動を伴うと、高められた意識状態に移るということです。
ドンファンの教えの中に「世界を止める」という一つの到達点があるんですけれども、この「世界を止める」というのは、私たちが通常この知覚している世界の解釈の流れを止める、ということです。
この「世界を止める」ことに必要なのが、集合点の移動ということになるんですが、ドンファンの戦略で本当に奥深いなと感じるのは、カスタネダの集合点を移動させた、その場所に左側の教えを埋め込むということによって、カスタネダは後から集合点を移動しなければ、その教えを思い出すことができない、そういう性質を利用して、集合点を移動せざるを得ない、というところに追い込むという戦略なんです。
高められた意識状態へ入るたびに、両側のちがいに驚かされつづけた。 いつも、まるで目の前のヴェールが取り除かれたような、弱視だった目が正常に戻ったような、そんな感じを抱いた。
そういうときに味わう自由や快感は、これまで経験したどんなことともくらべようがない。
しかも同時に、自由や快感と背中合わせに、恐ろしいほどの寂しさや恋しさがあるのだ。
ドン・ファンは、寂しさや恋しさがなければ平静ややさしさもないのだから、それらなしには完璧さもない、といっていた。やさしさのない知や、平静さのない知は、使いものにならないのだという。
私に左側を教えるために、ドン・ファンも同僚の見る者たちも、私に、彼らの知の三つの側面を説明した。すなわち、意識の熟練、忍び寄りの熟練、意図の熟練だ。
ドン・ファンは意識の熟練を、彼が古代トルテックの見る者たちの伝統と呼ぶ、きわめて古い伝統の現代版、と理解していた。
ドン・ファンはその古い伝統と密接に結びついていると感じていたが、自分を新しいサイクルの見る者のひとりと見なしていた。
一度、新しいサイクルの見る者の基本的な特質は何かと訊くと、彼らはまったく自由な戦士であり、意識、忍び寄り、意図の完璧な熟練者であるために、通常の人間のように死にとらえられるようなことはなく、この世界から出発する時と方法を選べるのだ、と答えた。
そのとき、彼らは内からの火によって平らげられ、あたかも存在などしていなかったかのように地表から姿を消すのだ。
このドンファンの知の流れ、系統というのが、古代トルテックの見る者たちの伝統、その知の流れ、その一環にドンファンがいる、という位置づけになります。
この古い見る者たちの教えを一旦修正したんですね、という意味で現代版ということになっています。
意識への回帰 【新しい見るもの】
やがて、いつものようにドン・ファンがいきなり私の背中を叩き、高められた意識状態へと移行させた。
私たちは、長いこと無言のまま座っていた。私は不安な思いで彼が話しはじめるのを待った。しかし、実際に彼が口を開いたときの驚きは、たいへんなものだった。
「スペイン人がメキシコへやってくるよりずっと以前、信じられないようなことのできる驚くべきトルテックの見る者がいたんだ。彼らは、何千年ものあいだつづいた知の鎖の、最後の輪だった。トルテックの見る者は、驚くべき人間だった。 不可思議な謎を解き、相手の意識を好きなものに固定して人に影響を与えたり苦痛を与えたりできる、秘密の知をもった陰気で強力な呪術師だったんだ」
古代トルテックの古い見る者たちは、陰気で強力な呪術師だったということなんですけれども、これは私たちは経験したことないんですが、なぜかイメージできますよね。
これは映画の影響かわかりませんけれども、「力」が全てだというこの呪術師の世界で、相手を殺してその個人的な力を奪ったり、秘密の知で何かを煮込んで独特の力の薬を作ったり、そういった陰気な呪術師というものがイメージできます。
「意識の話をしよう。 トルテックの見る者たちは、意識の操作術を知っていた。もちろん、それについては最高の技術をもっていたよ。相手の意識を固定できるということは、秘密の知と秘密の技術で、意識の謎をこじあけられるということなんだ。彼らの技術はかなりの部分が今日まで伝わっているが、ありがたいことに修正された形でなんだ。なぜありがたいかというと、これから説明するが、そうした活動は古代トルテックの見る者を自由へは導かなかった。 破滅へと導いてしまったんだよ」
「ドン・ファンは、その技術を知ってるのかい?」
「もちろんさ。わしらが知らないはずはなかろう。だからといって、わしら自身がそれを実践するということではないぞ。わしらには、他の見方があるんだ。わしらは、新しいサイクルに属しているんだからな」
「それじゃ、ドン・ファンは自分を呪術師だとは思っていないのかい?」
「そのとおりだ。わしは、見る戦士なんだよ。わしらはみんな、 新しい見る者なんだ。古い見る者は呪術師だったがな。ふつうの人間にとって、呪術は好ましくないものだが、それでも魅惑的であることに変わりはない。だから、おまえのふつうの意識状態のときに、わしらは呪術師なんだと思わせようとしているんだよ。そのほうが得策なんだ。 興味を惹かせられるからな。だが、わしらにとって呪術師になることは、袋小路へ入りこむようなものなんだ」
古い見る者たちがもっていた偉大なる知は、彼らを破滅に導いたということで、それを修正した新しい見るものたちは「自由」を求めることにしたんです。
私はトルテック人の知の起源について訊いた。
「トルテック人が知の道を進みはじめたのは、力の植物を食べたことがきっかけだった。好奇心か、空腹か、まちがいかは知らないが、とにかく彼らはそれを食べた。力の植物が効果をあらわせば、彼らがその体験の分析を始めるのは時間の問題だった。これはわしの見方だが、最初に知の道を歩きはじめた者はかなり勇気があったが、まちがいも大きかったんだ」
「それは、みんなドン・ファンの憶測なんじゃないの?」
「憶測なんかじゃないさ。わしは見る者だ。見ることの焦点を当時に合わせれば、何が起きたかはすべてわかる」
「過去のこまかいことまで見えるの?」
「見ることというのは、知ることの特別な感覚なんだよ。一点の曇りもなく知ることのな。 トルテック人に関していえば、見ることだけでなく、わしらが密接に結びついているから、彼らのしたことがわかるんだ」
それからドン・ファンは、彼の使う「トルテック」ということばは、私が考えている「トルテック」とは意味がちがうことを説明した。
私にとって、それは文化「トルテック帝国」を意味していたが、彼にとっての「トルテック」とは「知者」のことだったのだ。
最後に「知者」ということが出てきましたけども、この知者会議の「知者」というのは、見ることのできるもののことを、ドンファンは「知者」と呼んでいます。
そういう意味で私は実践者ですけれども、見ることにはまだ到達していないので、実際には知者ではないです。
そして第1回目として一番伝えたかったことは、この見ることについてなんですけれども、この「見る」という技術が、ドンファン、それの連なる知の基礎を作っています。
見ることと対比して、「眺めること」ということをドンファンは使いますが、私たちが現実を世界を見る、この実際に見ていることを、ドンファンは眺めることと言います。
本当に知覚できるはずの、ほんの一部分しか私たちは視覚的に見ていない、そのことを捉えてドンファンは「眺めること」と言い、本質的なエネルギーすべて一点の曇りもなく知ることの「見ること」と区別しているんです。
この一点の曇りもなく知ることの技術「見ること」。
この「見る」ことを通じて、あらゆることを調べながら積み上げていったのが、この新しい見る者たちの知なんです。
非常に実証的なんですね。
「昔の見る者たちは、むろん運が良かった。彼らには、すばらしいことを学ぶだけの充分な時間があったんだからな。今のわしらには想像もつかないほどの奇蹟を、彼らは知っていたんだ」
「彼らにそれを教えたのは誰なんだい?」
「見ることを通して、自分たちで学んだんだ。わしらの家系の者が知っていることの大半は、彼らが学んだことだ。新しい見る者たちは古い見る者のまちがいを直したが、わしらが知っていることやすることの基礎は、トルテックの時代に失われているんだ」
ドン・ファンは説明をつづけた。教えるという点からすると、もっとも単純だがもっとも重要な発見は、人間には二種類の意識があるということだ。古い見る者たちは、それを人間の右側と左側と呼んだ。
「彼らは、自分たちの知を教えるもっともいい方法は、弟子を左側へ、つまり高められた意識状態へ移行させることだ、と考えた。本当の学習は、そこで行なわれるんだ。他の生き方を知らせないように、小さな子どもたちが弟子としてあてがわれた。そういう子どもたちが大人になると、また小さな子どもを弟子にしたんだ。何世紀もそういう集中がつづいたあと、右側と左側への移行で発見したことを考えてもみろ」
私がその移行にどれほど混乱させられているかをいうと、それはドン・ファンにとっても同じだったという。彼の師ナワール・フリアンは、二つの意識のあいだをくりかえし移行させることによってドン・ファンのなかに深い分裂をつくりだした。彼が高められた意識のなかで体験した清澄と自由は、通常の意識状態での合理的思考、怒り、恐れとは対極にあるものだった。
古い見る者たちは、特別な目的に合わせるためにこの両極性をつくりだした。 これを使って彼らは、弟子たちに呪術の技術を学ぶのに必要な集中力を発揮させた。しかし新しい見る者たちは、弟子たちに人間には認識されていない可能性があるのだという確信をもたせるために、それを使っているという。
「新しい見る者たちの努力のなかでいちばんすばらしいのは、意識の謎に与えた説明なんだよ。彼らはそれを、弟子が高められた意識状態にいるときに教えるいくつかの概念と行動に圧縮したんだ」
ドン・ファンによると、新しい見る者の教え方がもっている価値は、高められた意識状態で起きることはいっさい思い出せないという事実を利用している点にある、という。この思い出せないということは、戦士にとってほとんど乗り越えることのできない障害をつくってしまう。 先へ進もうとする戦士は、与えられた教えをすべて思い出さなければならないのだ。戦士は、何年もの苦闘と修業の末、やっと教えを思い出すことができる。そのころには教えられた概念と手順も内在化され、新しい見る者たちの狙いどおりの力が獲得されるのだ。
私たちが通常の意識にいるとき、右側の意識にいるときに活性化する、合理的思考や怒り、恐れ、不安などは、この通常の意識の中心である「理性」によるものだといいます。
そして「意志」というもう一つの中心、それをなすのが左側の意識、第二の注意力、ということになります。
それらの話は、後ほどの動画でご説明していきましょう。
あなたの知の道の話も聞かせてください。
ありがとうございました。